日々、「決めつける」練習をさせられている
- ぺ ホス(裵 鎬洙)
- 4月23日
- 読了時間: 2分
「決めつけ」は良くない。
でも、先日、気づいてしまいました。
わたしたちは、毎日毎日、「決めつける」練習をさせられているのかもしれないな、と。
みなさんも、InstagramやYouTube等のショート動画(リール動画)を観ることがあると思います。
以前は、見てほしい部分をカットした動画が流れていました。
言い換えれば、起・承・転・結の順番で流れる動画です。
最近は、冒頭でコアな部分を見せて視聴者の心をつかんでから動画を流すケースが増えています。
言い換えれば、冒頭で「転」や「結」を見せてから、起・承・転・結の順番で流れる動画です。
ショート動画も視聴者には次々に飛ばされるので、最初に関心をつかまなければ、再生数が稼げないということでしょうね。
こうした動画に触れ続けることが、タイトルのような訓練になっていること、伝わりますか?
ほぼ1〜2秒で、観る/観ないを判断させられています。情報量が多すぎるネットの世界では、情報の必要性や有効性を、瞬時に判断することが求められます。そのため、期せずして、「パッと見」で判断する(≒決めつける)能力が、勝手に身についていっている(つまり、そうなるように訓練されている)と、みることができます。
SNSでは流れてきた記事の本文を読まずに、タイトルだけを見て、ああだこうだとコメントする人もいますが、その訓練の申し子なのかもしれません。
「考える」時間を省略しているので、「考える力」を伸ばす機会を放棄しているといえばいいのかな。
そこに加えて、各種AIが「考える」を代行する時代になっていることを考えると、これからは、「考える力」がある人が社会や組織から必要とされるんだろうなと思います。
「考える」力を奪われすぎないように、ショート動画の見過ぎには要注意デス。
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