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連載:「帰る!」と怒り出すSさんが本当に見ていたもの

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年10月に掲載された筆者の記事を転載しております)


スーツ姿で「おたくはどちらから来られましたか?」

 「うちの主人が、毎日、毎日、仕事に行く格好して、出かけるんです。ボケてしまったんでしょうか?」

 こんな第一声から始まった相談を受けたケアマネジャーは、すぐに電話の主の女性を訪問しました。スーツを着て出迎えてくれたのは女性の夫、Kさん(80歳)。開口一番「おたくはどちらから来られましたか?」と質問されました。「M町から来ました」と答えました。

 そこからあれこれ会話をしていると、5分おきに「ところで、おたくはどちらから来られましたか?」という質問が繰り返されたため、短期記憶障害があることは明らかでした。

 相談の電話をかけた妻の話によると、2年ほど前から様子はおかしかったようで、その頃に競馬場で会った人物にだまされて借金を背負うことになり、苦しい生活が続いているということでした。

 そのほかに困っていることをKさんの妻に尋ねると、「毎日、夏でもスーツ姿で、行くあてもないのに出かけてしまうから心配」「いまは自宅に帰ってくるからいいけれど、そのうち帰って来られなくなって行方不明になりはしないかと心配」ということでした。

「徘徊」に見える行動も人それぞれ理由がある

 「こういうのを徘徊って言うんでしょ?」と妻は言っていました。確かに、目的もなく歩き回る行動を指して徘徊(はいかい)と言います。妻にしてみたら、Kさんが出かける目的がわからないのですから、徘徊そのものに思えるのもしかたありません。

 しかし、表面的にはそう見えても、実際に起きている行動には、人それぞれ理由があるのです。

  • トイレの場所がわからなくて探し回っているだけ

  • ぶらぶらと散歩しているだけ

  • 何かを取りに来たけれど、何を取りに来たかわからずに戸惑っているだけ

  • やりたいことがあって、そのために動いているだけ 等

 いずれも、一見しただけではわからないこともありますし、本人に尋ねてもはっきりと答えられない場合もあります。

 ただ、今回のKさんの場合は、ヒントがいくつもありました。

 まず、スーツを着て出迎えてくださり、ケアマネジャーの会社がどこにあるかをしきりに尋ねていたあたりから、現役で仕事をしていた時代に生きている様子がみて取れました。

 さらに、出かける時には、必ずビジネスバッグを持って出かけており、駅までの往復を繰り返していたようなので、本人としては「通勤」をしているつもりだった可能性が大きいと思われました。

ビジネスバッグの中に入っていたもの

 実際に仕事に行っているわけでもないのに、いつも持ち歩いているバッグはかなり重みがある様子だったので、「バッグの中には何が入っているのだろう?」と妻は不思議に思っていました。

 実は、バッグの中には、定期ケース、名刺ケース、ボールペン、数年前のスケジュール帳等の他に、きれいに折りたたまれた大量の折り込み広告が入っていました。それを出しては読んで、また折りたたんでバッグに入れて……と、大切に扱っていました。

 きっと現役で働いていたときのKさんは、このくらいの重みのあるバッグを持って通勤していたのでしょう。

 どちらに向かわれるのですか?と質問すると、以前勤めていた職場があった街の名前を答えられたので、通勤している気分でいることにほぼ間違いないだろうと確信しました。

 妻には「Kさんは駅まで行って帰ってきているので、通勤している気分なのかもしれませんね」とお伝えしました。それまでは毎日、「どこに行くの!」と怒鳴っていた妻も、「もう、会社なんて行ってないのにねえ。まあ、会社に向かうのだと思って送り出します」と見守ることを了承されました。

どうせなら安全に「通勤」してもらおう

 そうは言っても、いつか自分のいる場所がわからなくなって、家に帰れなくなるのではないかと心配でしたので、ケアマネジャーと妻はいろいろと思案しました。何より、真夏にスーツを着て出かけていますから、迷子の心配より、熱中症や脱水症状の方が心配でした。

 一日も早く、その不安を解消するために、デイサービスに「通勤」のように通うという方法を試してみることになりました。駅に向かって歩いていくのではなく、車で迎えに来てもらう形になります。ひょっとしたらKさんは嫌がられるのではないか?と心配しましたが、「仕事をお手伝いいただきたいので、車で迎えにうかがってもいいですか?」と尋ねると、すんなりと了承してくださいました。デイサービスでは頼まれごとを引き受け、同じ席の方とは男女を問わず談笑される様子に、ケアマネジャーも妻も胸をなでおろしました。

 「徘徊」とひとくくりにしてしまうと、「出歩かないようにする」という発想になりがちですが、その行動に隠されている目的をサインとして読み取れれば、その目的に応じた環境や居場所をつくることができます。ぜひ、そのサインを読み取れるようになっていきましょう。

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年10月に掲載された筆者の記事を転載しております)

https://mainichi.jp/premier/health/articles/20191025/med/00m/100/004000c

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