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連載:夫をお風呂に入れてくれるヘルパーに妻が”嫉妬”?

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年7月に掲載された筆者の記事を転載しております)


ヘルパーの手伝いを嫌がったHさん

 Hさん(78)は、パーキンソン病で車いす生活を送る夫を介護しています。軽度のアルツハイマー型認知症はありますが、食事など夫の身の回りの世話は普通にこなせています。

 ただ、夫の体の動きが次第に悪くなってきたため、Hさん1人では入浴を手伝うことが難しくなりました。そこでヘルパーの助けを借りて夫をお風呂に入れることにしました。

 Hさんは笑顔でヘルパーを迎え入れました。お風呂から上がったら、「お父さん、気持ちよかった?」と声をかけ、ヘルパーにも「ありがとうね。とても助かる。お父さんも喜んでいるわ」と感謝していました。

 ところが、ヘルパーを迎え入れてしばらくたったころ、変化が見られるようになりました。Hさんの記憶力が衰え始めたのか、それまではお風呂を沸かして待っていてくれたのに、ヘルパーが到着してもお風呂が沸いていなくて、介護時間を延長する事態がたびたび起きたのです。

Hさんがヘルパーに嫉妬した?

 ヘルパーはHさんに「準備を忘れないように」と、たびたび念を押してお願いしました。最初は「ごめんなさいね」と言っていたHさんが、数週間が過ぎたころから、「なぜ私がお風呂の準備をしないといけないのよ!」と、険しい表情で不満を漏らすようになったのです。

 さらに、別の趣旨の発言も増えてきました。

「どうして、知らない女の人のために、私がお風呂を沸かさないといけないの?」

「お父さんもお父さんだわ。嬉しそうに笑いながらお風呂に入るなんて!」

 こうした発言は、認知症の症状の一つ「嫉妬妄想」と呼ばれます。


 ですがよく考えてみると、記憶力が低下しているHさんにとって、夫のために毎週来てくれているとはいえ、ヘルパーは毎回「見ず知らずの女性」と認識している可能性があります。その彼女から「ご主人をお風呂に入れるので、お風呂を沸かしておいてください」と言われたら、「なぜ?」となるのは当然かもしれません。

 ある時、ヘルパーは見てしまいました。ご主人が湯船で温まっている時に、Hさんを呼びに行ったところ、静かな和室の真ん中で、Hさんが悲しげな表情を浮かべ、正座していたのです。その肩はとても寂しそうに見えました。

妻の愛情をケアに生かす戦略に転換

 Hさんの姿を見たヘルパーは、訪問介護事業所に戻って情報を他のスタッフと共有しました。そして事業所として「これを嫉妬妄想と捉えず、Hさんの夫への愛の裏返しと捉える」と決め、方針を確認しました。

 今までのように、お風呂の介助をすべてヘルパーがやり、閉ざされたお風呂場から楽しそうな笑い声が聞こえてくるのは、妻としてはモヤモヤするだろうということで、できる限り多くの場面で、妻のHさんに夫の入浴を手伝ってもらうことにしました。

 まず、Hさんにお風呂の準備をお願いするのをやめました。ヘルパーが到着してから沸かすことに切り替え、「Hさん、お父さんの入浴を手伝ってくださいね」と声をかけるようにしました。

 すると、「私は何をしたらいいの?」と笑顔でいいながら、テキパキとパジャマやシーツの準備をしてくれます。「お父さん、お風呂入れてもらえるんだって、よかったね」と、夫にも弾んだ声をかけるようになりました。

 その後、お風呂場に移動し、服を脱ぐところまで手伝ってもらいます。そして「では、私がお父さんの体を洗うのを手伝い、湯船につかったらHさんをお呼びしますね」「上がったらお父さんがお茶を飲めるように用意しておいてもらえたら助かります」と声をかけます。すると「はいはい」と返事をして、台所でお茶をいれてくれるようになりました。

 また、湯船につかっている間は、Hさんにお風呂場に入ってもらって見守りをお願いしました。Hさんは満面の笑みを浮かべながら「お父さん、よかったね。気持ちいいね」と、夫婦水入らずの時間を楽しむようになりました。お風呂から上がった後の着替えも、Hさんとヘルパーが一緒にするようにしました。

言動の裏にある感情を考える

 夫の入浴介助をこのような方式に変えたことで、それまでみられたHさんの険しい表情は消えうせ、ヘルパーが到着して帰るまでの間、ニコニコ笑顔が続くようになりました。そして「いつもありがとう」と、以前のように喜んでくれるようになりました。

 もし、ヘルパーがHさんの寂しげな表情を見なければ、「Hさんも認知症が進行して、嫉妬妄想が出ているんだ」と捉えたままだったかもしれません。

 Hさんが利用者である前に、妻であることを思い出させてくれた出来事でした。

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年7月に掲載された筆者の記事を転載しております)

https://mainichi.jp/premier/health/articles/20190719/med/00m/100/006000c


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