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連載:「自分の料理を食べない女性」と冷蔵庫の深い関係

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年5月に掲載された筆者の記事を転載しております)


夫婦水入らずの幸せな日々を過ごすHさん

 Hさん(78)は、パーキンソン病を抱えて車椅子生活を送る夫を介護していました。Hさん自身は軽度のアルツハイマー型認知症と言われていましたが、本人にその自覚があまりなく、夫の身の回りの世話を十分できる状態でした。

 ただ、料理の時に作れるおかずが次第に減ったうえ、夫の介助が必要な日が増えてきたため、夫婦で訪問介護サービスを利用することにしました。

 それまでは、食べ物を飲み込みにくくなった夫のために、食材を細かく刻んだり、軟らかく煮たりして食べやすくする工夫をしていたのですが、それも難しくなったので、ヘルパーがHさんをお手伝いする形で一緒に食事を作るようになりました。

 ヘルパーが調理しておけば、Hさんはお鍋からよそうこともできるし、冷蔵庫から出して電子レンジで温め直して食べることもできます。調理がしにくくなる前と変わらぬ様子で、夫との食事を楽しんでいたそうです。

 ところが、半年ほどが経過して様子が変わってきました。なぜか、ヘルパーと一緒に作った料理をHさんが食べなくなったのです。

 ヘルパーと自宅で一緒に料理する間、やりとりはしっかりしています。包丁さばきも変わらず、鍋が噴きこぼれそうになれば弱火にもできるので、理解力と判断力は十分あるように見えていました。ヘルパー事業所の責任者は、料理を食べなくなった理由を探り始めました。

「認知症が進んだ」とは考えなかった責任者

 長くお付き合いしているヘルパーなので、Hさんの好き嫌いも把握しています。一緒に作りながら「うん、これでいいわね」と味付けも確認していますから、「おいしくない」という理由ではなさそうです。

 「冷蔵庫の中に置いておきますよ、電子レンジで温め直して食べてくださいね」と伝えると、「はいはい」と返事をしてくれますから、置き場所がわからないわけではなさそうです。ましてや冷蔵庫の中から他の食べ物を出し入れしているのですから謎は深まります。

 このような場合、つい「認知症が進んだから」とみてしまいがちです。しかし、そう捉えると観察眼を曇らせることを知っている責任者は、「認知症が進んだ」とは捉えず、現場で確認することにしました。

 責任者は自宅を訪問し、ヘルパーと一緒に料理することに満足しているかどうか、料理を思い通りに作れているかどうかをHさんに尋ねました。Hさんは「とても助かっていますよ。一緒に作るのも楽しいし、おいしくできてうれしいです」と答えます。やはり味が問題ではなさそうです。

 次に責任者は、Hさんに「なぜ作った料理を食べないのですか?」という野暮な質問はせず、「冷蔵庫の中を見せてください」とお願いしました。Hさんは快く「いいですよ」と言いながら冷蔵庫を開けてくれました。

責任者はHさんの「目線」に着目

 冷蔵庫の中には、ヘルパーが作った料理のほかに、ヨーグルトやプリンなど、食べ物を飲み込みにくい夫にとって、食べやすい物が置いてあります。また、つくだ煮や梅干しなどご飯のつけあわせのおかずも置いてありました。

 冷蔵庫の様子をみて、責任者はピンときました。注目したのは、食材を出し入れしている形跡があるかどうかです。

 動きのある棚と、動きのない棚があるのではないか?と仮説を立てて観察したところ、ヨーグルトやプリン、佃煮や梅干しなどは頻繁に出し入れがあり、それらは上から2段目、3段目の棚に置いてありました。そして、ヘルパーが作った料理は最上段の棚に置いてあったのです。

 最上段の棚は、Hさんがほんの少しだけ目線を上に向けて見る位置でした。

 そこで、Hさんの様子をみたところ、やはり最上段の棚に目線が向いていないことがわかりました。「一番上の棚には、どんなものがあるのですか?」と尋ねたら、目線を上げて確認していたので、目線を向けられないわけではないようです。

 これらを総合して、「Hさんは冷蔵庫の最上段の棚に置いているものに意識が向きにくい。ところが、料理は最上段の棚にあるので認識しにくかったのではないか?」と考えました。

 そこでHさんに「少し狭くなるけれど、ヘルパーと作った料理を2段目、3段目の棚に置いてもいいですか?」と尋ねると「ええ、もちろんいいですよ」と答えたので、ヘルパーにそのように伝えました。


 すると、この日を境に、Hさんは再び、ヘルパーと作った料理を冷蔵庫から出し、温め直して食べてくれるようになりました。

 これまで通用していたやり方が通用しなくなった時、私たちはつい「認知症が進んだのかな」と考えがちですが、それではこうした細やかな観察はできません。「認知症が進んだのかな?」という言葉や疑問を耳にしたら、それは立ち止まって、本人としっかり対話し、様子を観察しなおすタイミングと考えましょう。

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年5月に掲載された筆者の記事を転載しております)

https://mainichi.jp/premier/health/articles/20190516/med/00m/100/010000c

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