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連載:80代認知症女性が食事を拒み続けた意外な理由

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年1月に掲載された筆者の記事を転載しております)


ご飯を食べてくれないDさん

 Dさん(80代、女性)が、体調を崩して一時入院することになりました。しばらくは点滴で治療していたのですが、症状が安定してきたので、医師から食事をとってもよいと許可が出ました。

 看護師さんが「ようやくご飯を食べられますね」と話しかけながら食堂に連れて行ったところ、Dさんはなぜか料理をほとんど口にしようとしません。「久しぶりの食事だから、ちょっと食べる気になれないのかしら?」と思いながらも、明日からはしっかり食べてくれるだろうと楽観視していました。

 翌日の食事を、少し軟らかめで口当たりが良いソフト食(軟菜食)とおかゆに変えてもらいました。ところが、結果は同じ。ほとんど口にしようとしません。

理由を探る会話は総力戦

 Dさんはお茶やジュースは飲むので、飲み込みに問題があるわけではなさそうです。そこで看護師さんは、緊急避難的に飲む栄養剤を医師にお願いして出してもらい、最低限のカロリーがとれるようにして、ご飯を食べない理由について探り始めました。

 ここで理由が探り出せなかったら、退院後の生活が不安です。何より、可能性として点滴や経管栄養という厳しい選択肢が浮上してくるので、看護師さんたちは懸命です。Dさんが食事を食べない理由をあれこれ考え、仮説を立て、それに応じた介助方法を実行してみました。

  • 食堂に誘導する順番を最初にする

  • 食堂に誘導する順番を中盤にする

  • 食堂に誘導する順番を最後にする

  • 座る席を変える

  • 食器をトレーに載せず、テーブルに並べる

  • コースのように料理を1品ずつ出す

 自分たちが思いつく限りの理由を考え、あらゆる方法を試しましたが、Dさんは相変わらず、食事を食べるものの量は少なく、飲む栄養剤に頼っています。

 そのうち、「認知症が進んだのかしら? はしの使い方がわからなくなったとか、料理を認識できないとか……」という声も上がり、チームにあきらめムードが漂い始めました。しかし自宅に帰ると、主な介護者は80代の夫。できる限り入院前と同じ状態にして退院してもらいたいので、簡単にあきらめるわけにもいきません。

本人がようやく言葉に出した理由とは……

 なかなか手がかりが見いだせない状況に、看護師たちの焦る気持ちは増すばかりでした。

 そんなある日、ある看護師さんがDさんに改めて自分の気持ちを伝えたところ、状況が一変しました。 その看護師さんはDさんにこう言ったのです。

 「Dさんがご飯を食べられないので、わたしはとても心配です。今のまま退院したら、そのうち栄養が足りなくなり、また健康を損なうかもしれません。そうなってほしくないから、本当に心配なんです。なぜご飯を食べられないんですか?」

 すると、Dさんから、思いがけない返事が返ってきました。


 「わたし……実は財布を持って……ないんです……」


 その瞬間、あらゆる疑問が氷解しました。言われてみればもっともな理由です。Dさんはおそらく、次のように連続して考えていたのではないでしょうか。

  • 旅館の食堂のような場所で、見知らぬ人と並んで、同じような食事を食べている

  • おまけに、注文もしていないのに勝手に料理が運ばれてくる

  • ここはきっと旅館に違いない

  • 旅館の人がどんどん食べてくださいと勧めてくるが、わたしには財布がない

  • お金を払えないから、勧められても食べるわけにいかない、どうしよう…

 確かに、「お金を持っていないから」とはなかなか言い出せません。できることは、ごまかすように遠慮するだけ。さぞやつらかったことでしょう。

 「財布がない」という理由を聞いた看護師さんが、Dさんに「そういうことだったんですね。食事代は息子さんからもらっているので、安心して食べてください」と伝えてからは、ご飯を全部食べるようになり、病状も順調に回復して、無事退院できたそうです。

 食べない理由をDさんが言葉にできたのは、Dさんのことを心から心配している看護師さんが、いろいろと工夫をしながら、食事を勧めたり、食べない理由を尋ねたりするコミュニケーションを重ねた結果です。二人の間に生まれた信頼関係があればこそだったのかもしれません。

 「認知症だからしかたないね」という理由で、何かをあきらめるのではなく、根気強く、より良くなってもらいたいと願い、関わり続けた看護師さんのがんばりに感服したエピソードでした。

(本記事は、「毎日新聞・医療プレミア『理由を探る認知症ケア』」に2019年1月に掲載された筆者の記事を転載しております)

https://mainichi.jp/premier/health/articles/20190117/med/00m/070/002000d




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